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親友 H川君

執筆者の写真: -はるか- 札幌ラーメン悠
-はるか- 札幌ラーメン悠
9月22日
読了時間: 2分


元祖さっぽろラーメン横丁
札幌ラーメン悠-はるか-と親友の職場の距離徒歩10秒くらい

大人になってからできた親友。

今回は、店の話から少し離れて、親友の話を書こうと思います。

仮に名前は、H川くんとしておきます。

実はH川くんとは、調理師専門学校の同級生でした。

とはいってもクラスも違ったし、学生の頃は全然仲良くありません。

ほぼ「同じ学校にいた人」くらい。

ちゃんと話すようになったのは、大人になってからでした。

まだ札幌ラーメン悠 -はるか-になる前。

自分が「けらあん」でラーメンを作っていた頃です。

共通の友達が、自分がラーメン屋で働いていることをH川くんに話していたらしく、しかもH川くんが働いていた寿司屋が、ちょうど向かいの有名ラーメン店の隣にありました。

ある日、けらあんの厨房横の勝手口から、

「……あれ?ケイセンでしょ?」

と声をかけられました。

ケイセンというのは、通っていた調理師専門学校のことです。

そこで、

「あー!そうだ!」

みたいな感じになったのが、本当の意味での再会でした。

そこからH川くんは、寿司屋の仕事が終わったあとに店へ酒を飲みに来るようになります。

最初は週に1回くらい。

それが4日に1回くらいになり、

そのうち2日に1回くらい。

仲良くなるまでに、そんなに時間はかかりませんでした。

自宅の方向も一緒だったので、仕事が終われば一緒に帰る。

休みの日も一緒。

酒を飲みに行くか、どちらかの家でゲームをしながら飲むか。

気づけば、とにかくいつも一緒にいました。

当時働いていたけらあんは、正直、給料は安いし拘束時間も長い。

今考えると、よく続けてたなと思います。

でも、たぶん続けられた一番大きな理由はH川くんがいたからです。

仕事が終われば一緒に帰って、休みの日も一緒にいて、くだらない話をしながら酒を飲む。

毎日なんだかんだ楽しかった。

条件だけ見ればしんどい職場でしたが、あの頃を嫌な思い出だとはあまり思っていません。

H川くんがいたからだと思います。

学生時代はほとんど話したこともなかったのに、

大人になって、たまたま近くで働いていて、

勝手口から声をかけられたことをきっかけに、気づけば毎日のように一緒にいるようになっていました。

人との縁って、ほんと分からないものです。

H川くんの話は、またそのうち書きます。


 
 
 

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